世界観
世界観
僕はこの言葉に、並々ならぬ思いがあります。
僕はこの俯瞰的にも思える言葉に、恐れおののき、心を掴まれ、魅了されてきました。
最初にこの言葉に出会ったのがいつの事だか覚えていませんが、その感激と衝撃は今でも覚えています。
僕は昔から、この世界はどんなものなのか、そしてどう捉えれば良いのか、迷いつずけながら生きてきました。
小さな頃から、世界の捉え方がコロコロ変わり、自分がどんな存在で、どんな世界に居るのか、はっきりと確信を持つことはできませんでした。
僕が知りたかったのは、ルールなのかもしれません。
法則なんて言ったら限定的に感じてしまって、どんな世界をどんな存在としてどう存在すれば良いのか、ずっと分かりませんでした。
しかし、この世界観という言葉は、この迷宮の存在を許す言葉でした。
僕ら一人ひとりにとっての世界を形作っているのは、それぞれの世界観という言葉で簡単に説明がつき、いちいち変わって見える世界の有りようを許す言葉に感じられました。
僕らはいろいろな感覚、観念で世界を捉えています。
でも、言語という概念がどれほど僕らの世界認識に影響を与えているかをあまり自覚出来ていません。
しかし、言葉が僕らの世界を作っているという面も必ずあります。
そして、僕にとっての世界観という言葉のように、短い言葉によって、まさに世界観が変わるようなことがよくあるのです。
あなたも、自分の中に、深く根を下ろし、あなたの生きる世界を型作っている何らかの言葉があるはずです。
少しブラックな話になりますが、この世界の認識、捉え方を本人の意思に反して操作することを、洗脳と呼びます。
それは言語によって可能なのです。
技術は話せませんが、自身の世界観を形作る言葉、それは人生を形作ると言っても過言ではありません。
ポジティブな意味でそれを変えていくことは、人生全般を向上させてくれます。
認識することがスタートです。
なかなか意識することの少ない概念ですから、ピンとこないかもしれませんが、この言葉を認識し、デザインすることで、世界は簡単に変えられることを意識してみてください。